2011年9月12日月曜日

Las capacitaciones 3 経済自立のための研修3

Las capacitaciones 2 経済自立のための研修2、の続き。
本日は2)の価値クラスを見てみましょう。

1)ビジネスクラス        Curso de Negocio
2)価値クラス          Curso de Valoes
3)お金との付き合い方クラス Curso de Finanzas Sanas
4)自尊心クラス         Curso de Auto Estima
5)法人登記・税金のワークショップ Taller de Registro de Negocios

--------------------------------------------------------------------

価値クラスとは、責任感・素直さ・自律(ディシプリン)等と呼ばれる、ビジネスを行う際に身につけておく必要のある、最低限のエチケットや姿勢を学ぶクラスです。日本ではこのようなことは、比較的言葉を介してというより、家庭や学校などでの人との関わりを通じて学ぶこと、とされていて、「教室の中で学ぶもの」とは考えられていないように思います。しかしここコスタリカでは、これらも立派な”学ぶこと”とされています。むしろ、言語化してしっかり伝えて行く必要がある、と考えられているようです。

この Curso de Valores を、5つの研修の1つとして入れた理由。それは、以前書いた「Caso Karla Karlaさんのケース」が事の発端でした。この問題が起きた時に、私はどう解決すれば良いかを考えていて、Foro de Empresarias Profesionales de Costa Rica 代表のNoeria氏に相談をしました。すると、「対象女性たち(シングルマザー、教育レベルの低い人たち、貧困層の女性たち)には、Curso de Valores は必須。必ず実施しなさい。」とアドバイスをもらいました。最初に聞いた時は私も「それは一体何??」状態だったのですが、その中身を具体的に教えてもらい、実際にその内容を実現できる講師(NGO)を探して来て、組み込みました。

このクラスは、自立支援という仕事において必ず発生するジレンマを解決するための、1つの重要なポイントだと私は考えています。”何かをしてもらうこと”に慣れ過ぎてしまうと、”してもらって当たり前”という感覚が、誰の中にも芽生えます。これは、途上国・中進国に対する開発支援業界に限った話ではなく、日本全国各所で行われている自立支援の場、ソーシャルビジネスと言われる場において良く見られる現象だと思います。提供すること・支援すること(「してあげること」)に価値を置き、そこに予算を組んでいる人たち・組織・国が存在している以上、その予算は消化する必要があり、結果的に受益者側(”してもらう側”)が「じゃあ、して下さい。もらってあげます。」と考えてしまう面が発生する。本来のビジネスであれば Give and Take であるべきことが、支援の場では、とかく、Give and More more more... になりがちです。

でも、それでは困る。何分、ここは支援は支援でも「自立支援」なのですから、自分の足で立って歩いて行ってもらわなくてはいけません。支援してもらいっぱなし、では困るし、して当たり前、では支援する側もゲンナリしてしまいます。では、それをどう防いでいくのか。

1)どこでその支援が終了するのかを、前もって定義し、受益者に明確に伝えておく。
=支援内容をプログラム化して明確にしておく →3本柱、入会から卒業までの8つのプロセス

2)「してもらった」ら、そこには必ず何かしらの責任が発生しているという事実を、提供する側(してあげる側)が受益者側(してもらう側)に理解させていく。
=何かを受け取る「責任」とは何か?を考えさせる。 →これが、Curso de Valores です。

ビジネスの場においては、タダは存在しない。タダより高いものはない、とも言いますから。(見ず知らずの支援を受けてしまったら、本当は大変なんですよね。)

問題は、その責任はどうやったら果たせるのか?を、各自が考えて行動する必要がある。ここに、この難しさがあるのだと思います。「無償でしてもらったことに対して、自分なりの恩返しをしていく」ということ。どれだけ善意に基づいた場においても、です。結局問われるのは、受けた側の”人間性”ということになって来ます、・・・難しい。しかも、支援を受ける側は、支援が必要なくらい、余裕がない状態の人たちなのですから。

つまるところ、この場における責任の果たし方は、「自分の足で立っている姿をしっかり見せ、”してくれた人”に「もうあなたは必要でなくなりました。ありがとう!」と安心させること」でしょう。この話は『自立と依存』という話に拡大していくので、また後日。


ということで、Curso de Varoles を2011年5月下旬に実施しました。このクラス、女性たちにも大変好評でした。私も参加させて頂いたのですが、とても勉強になりました。実施内容は以下。

▼Curso de Valores 価値クラス 16時間

1日目:5月23日(月) 午後1時~5時 4時間
Mujer Plena y Trabajo 1 満たされている女性と仕事1

2日目:5月24日(火) 午後1時~5時 4時間
Mujer Plena y Trabajo 2 満たされている女性と仕事2

3日目:5月26日(木) 午後1時~5時 4時間
El Foda personal  - Entendiendo mi presente - 自身の存在を理解する

4日目:5月27日(金) 午後1時~5時 4時間
Disciplina y Respeto ¿Cómo desarrollarlos? 自律と尊敬 ~どう開発していくか?

見るからに立派な内容。私には難しすぎるスペイン語の単語オンパレードに、四苦八苦。でも終わってみて、日本でもこういうクラスがあったら良いのにな、と素直に思いました。こういう人間の本質に関わるテーマをきちんと言語化して伝えるカルチャーは、日本も学ぶべき。上司や親の背中を見て学ぶ、では伝え切れなくなった今の日本社会においては、尚更必要なのかもしれません。

授業の中身はもう少し詳しくお伝えしたいので、後日、書き加えます。



2011年9月9日金曜日

Sabana Cementerio サバナ墓地

さて、前回の「お葬式に出て考えたこと」の続き。ということで、せっかくなので日本の皆さんに「棚式」のお墓をお見せしたいと、職場の近くの公共墓地へ行ってきました。さすがにお墓の写真を撮るとなんて、不謹慎だから隠れて撮影しないとダメかな、なんて思っていたのですが・・・入り口の管理人さんに「写真を撮りたいのですが、中に入っても良いでしょうか?日本人にとっては珍しいのです・・・」と恐る恐る聞いてみると、「入って入って!私が案内してあげる!!」と大喜びで墓地内を案内して下さいました。。(汗 Pura Vida とはこのことです。。

この職場の隣の墓地は、実は、公共墓地と、その横に、Sabana Cementerio サバナ墓地という、歴代大統領や超お金持ちの人だけが入れる、いわゆる青山霊園のような墓地の2つから構成されていました。私は今回、後者の方の墓地に行ってきました。1つ1つが独立した形になっていて、その建造物?はそれぞれにかなり工夫をこらしています。中には小さいピラミッド+スフィンクスまであり、エジプトの方が亡くなった時のものだそうです。何でもありなのね。。
※通常の一般墓地では、ここまでゴテゴテのものは存在しません。
コスタリカの墓地を見学に行きたい方は、ぜひ?Sabana Cementerio をご利用下さい。

住所:Sabana Cementerio  Ave 10. y Calle 22-28
行き方:サンホセセントロを巡回している、その名も Sabana Cementerio のRoute02のバスにて。120₡



2011年9月7日水曜日

Funerales お葬式に出て考えたこと・・・

こちらの国で、大事な3人のお友達のお母様が亡くなる機会に遭遇しました。日本の感覚では「具合が悪くなった」と言われてからが長いので、「母の具合が悪くて…」と言われ「分かった、じゃあ再来週の週末にお見舞いに行くね。」と答えたのですが、ものの数日で亡くなってしまい、会うことができなかったということを三度も繰り返してしまいました。この「母が、今朝がた亡くなった・・・」と電話をもらった時の、”もっと早くに行っておけば良かった…”という気持ちは、表す言葉が見つかりません。後悔先に立たず、とは、このような時のためにある言葉なんだと知りました。医療レベルと、末期医療に対して支払える経済的能力が全く異なるため、ここでは「具合が悪くなった」=あともう少しで亡くなります、のケースが多いようです。いい加減、学習しました。次誰かに言われたら、即効行きます。もう後悔はしない。

結果、お葬式にも何度か参加させて頂きました。キリスト教カソリックのため、教会で行われ、棺を担いでお墓へ行きます。埋葬方法は、火葬ではなく土葬です。今まで私が参加した場では、土の中に埋めて土をかける、というものではなく、コンクリートでできた棚?のような2段・3段ある棚の空いている段へ棺をスルスルと入れて、その入り口をセメントでふさぐという方式でした。何とも、”中からまた出てくるのではないか”と考えるのは、自然な感覚だと思いました。マイケルジャクソンのスリラーの世界。

たまたま職場の役所から近くの公共墓地が見えるため、先日同僚たちと「そういえば、日本は火葬することが義務なんだけれど、この国では火葬は存在しない?」と聞いてみました。すると返って来た言葉は「高いからできない。」でした。次に返って来た言葉は「そんなの、耐えられないよ。。熱いじゃん。」
”高いから”と言うので、「もし、自分が死んだ時に、お金があったら火葬したい?」と聞いてみると「イヤだよ。熱いよ。痛いよ。」と亡くなった後も人間の感覚が残っているという考え方をしていることが分かりました。キリスト教の世界では、最後の審判までお墓の中で”待っている”ため、身体は焼かずにとっておくようですね。

死生観は国や人によって全く異なるものだなと、改めて思いました。でも、生きていることをどう捉えているか・考えているか、というのは、一緒に生活をしている上で根本的に大事なことなのではないかと思いました。勉強になりました。

2011年9月5日月曜日

Los coches de Bomberos 消防車

ある朝の通勤中、数台の各種消防車がずらり並んでいるのを見かけました。通りのバスが多過ぎて、全ての消防車を撮影することはできず残念。カッコ良かった!ですよ。しかも、どれも新品。ベンツ消防車にJeep消防車・・・外車ばかりで、すごいですね。。私は消防業界に詳しくないのですが、そういうものなのでしょうか?
前に書かれている「消防車」の文字は、ガラス戸に映った時に読めるようになのか、逆に書かれています。ここは救急車もそうです。

2011年9月2日金曜日

Las figuras de la Muni. 市役所入り口の像

毎日通っている市役所。見慣れてしまった景色に、面白味を感じなくなって来てしまっている今日このごろ。まずいな、と思いふと見てみると、入り口に可愛い鳩の像が置かれていました。Hacer la diferencia para un mundo mejor、「より良い世界のために違うことをする」なるメッセージが書かれています。
その横には、風鈴の木があって、実は金魚がぶら下がっています。そして、以前も紹介したピンクの牛さんが。
税金や公共料金の支払いに来た方を和ませるためなのか、サンホセ市役所の入り口は、ちょっと賑やかです。

住所:Ave.10, Barrio Sabana