2011年9月7日水曜日

Funerales お葬式に出て考えたこと・・・

こちらの国で、大事な3人のお友達のお母様が亡くなる機会に遭遇しました。日本の感覚では「具合が悪くなった」と言われてからが長いので、「母の具合が悪くて…」と言われ「分かった、じゃあ再来週の週末にお見舞いに行くね。」と答えたのですが、ものの数日で亡くなってしまい、会うことができなかったということを三度も繰り返してしまいました。この「母が、今朝がた亡くなった・・・」と電話をもらった時の、”もっと早くに行っておけば良かった…”という気持ちは、表す言葉が見つかりません。後悔先に立たず、とは、このような時のためにある言葉なんだと知りました。医療レベルと、末期医療に対して支払える経済的能力が全く異なるため、ここでは「具合が悪くなった」=あともう少しで亡くなります、のケースが多いようです。いい加減、学習しました。次誰かに言われたら、即効行きます。もう後悔はしない。

結果、お葬式にも何度か参加させて頂きました。キリスト教カソリックのため、教会で行われ、棺を担いでお墓へ行きます。埋葬方法は、火葬ではなく土葬です。今まで私が参加した場では、土の中に埋めて土をかける、というものではなく、コンクリートでできた棚?のような2段・3段ある棚の空いている段へ棺をスルスルと入れて、その入り口をセメントでふさぐという方式でした。何とも、”中からまた出てくるのではないか”と考えるのは、自然な感覚だと思いました。マイケルジャクソンのスリラーの世界。

たまたま職場の役所から近くの公共墓地が見えるため、先日同僚たちと「そういえば、日本は火葬することが義務なんだけれど、この国では火葬は存在しない?」と聞いてみました。すると返って来た言葉は「高いからできない。」でした。次に返って来た言葉は「そんなの、耐えられないよ。。熱いじゃん。」
”高いから”と言うので、「もし、自分が死んだ時に、お金があったら火葬したい?」と聞いてみると「イヤだよ。熱いよ。痛いよ。」と亡くなった後も人間の感覚が残っているという考え方をしていることが分かりました。キリスト教の世界では、最後の審判までお墓の中で”待っている”ため、身体は焼かずにとっておくようですね。

死生観は国や人によって全く異なるものだなと、改めて思いました。でも、生きていることをどう捉えているか・考えているか、というのは、一緒に生活をしている上で根本的に大事なことなのではないかと思いました。勉強になりました。