2010年7月28日水曜日

León レオンで戦後史・東西冷戦の体験を聞きました

夏期休暇中で隣国Nicaraguaに来ているため、San José情報はお休み中です。

首都Managuaを経由して、Leónという町にやって来ました。道中「これは…貧しいかも。。」と思う場面に何度か遭遇。LeónもGranadaと同じく1524年スペイン入植の際に造られた街で、LeónかGranadaのどちらが首都かで長らく内戦を続けていたそうです。(結果、中間地点にあるManaguaが首都になったとのこと。)
市内ツアーに参加したのですが…。日本では”語り部さん”と呼ぶのでしょうか。1964年生まれ46歳の彼は、東西冷戦に巻き込まれた人生を送っていました。あまりに壮絶で、心の底から「これからは平和に暮らしてください。」と思いました。単なる市内ツアーを希望していた私がこのようなお話を聞くことになったのは、何かのご縁だったのでしょうか…。Leónは至る処で歴史の傷跡が見られます。

生まれた時から内戦で、収容所では知人・友人が目の前で殺されていく場面を散々見た挙句、収容所を出た後はロシアが介入し「金も食事も武器も、欲しいものは全部あげる。ただし社会主義になりなさい。」と言われ、貧しすぎる彼らは逆らうすべもなくロシアに送り込まれました。その地でダーウィン進化論を教え込まれ、とんでもないショックを受けます。彼らは敬虔なクリスチャンですから、人間の祖先が猿というのは全くもって受け入れられず、凄まじい混乱を来したそうです。(余談ですが、山本七平氏の代表作「空気」の研究に、モンキートライアルに関する本質的でとても分かりやすい記述があります。ご興味のある方は是非。)
国に戻ってからも戦争で、仲間の墓を作っては埋めての毎日。「クリスマスを祝う時間、友達と遊ぶ時間、家族と居る時間、そんな時間はどこにも無かった。」その後、キューバに送り込まれます。市内ツアー中、ゴルバチョフとレーガンが並んで写っている写真を見せながら「彼らの喧嘩に巻き込まれた。」の発言は、リアルすぎて言葉に詰まりました。私は当時子どもでしたが、テレビや新聞を通じて聞く冷戦という言葉に、「冷戦って言うぐらいだから、きっと実際に血を流す戦争はしていないんだろうな。」なんて呑気に思っていたような気がします。しかし現場は違いました。市内ツアーで回った戦争祈念館では、戦死者の写真を指しながら「これが弟、これが当時のボス、これが友達。」「彼らが命を捧げて戦ってくれたから、長かった戦争が終わった。感謝してもし足りない。」リアル過ぎます。。
終戦時は嬉しい気持ちは半分で、途方に暮れてしまったそうです。「なぜ?」と聞くと「生まれた時から戦争しか知らなかった。あの時は、これから何をして生きていけば良いのか、一切分からなかった。」でも転機が訪れます。その後数年間、ガードマンやタクシードライバーをして過ごし、敵だと教えられてきた人たちが実は優しい普通の人間であったことを知ります。2000年Leónにできた一流ホテル(※以下写真)の開業と同時に5年間ベルボーイとして働くと、そのホテルオーナーによる奨学金で、市内の大学にて歴史と英語の勉強をする機会を得ます(それまで英語は一切できなかった)。その後、オーナーから「君はもうガードマンではない。プロのツアーガイドだ。」と言ってもらえたことがきっかけで、数年前からLeonの町でツアーガイドとして仕事を始めたそうです。市内ツアー終了時、「今こうして、小さいけれど会社を持つことができ、売上の一部をLeónの小学校に寄付して教科書や必要な道具に役立てられていることに、とても幸せを感じている。ご清聴ありがとうございました。」と涙目で締めくくりました。※以下写真、オフィスの前で。

「教育は人間にとって大事だと思いますか?」と質問すると、真顔で「食べ物より着る物より何よりも、人間にとって一番大事。」と力説してくれました。「なぜ?」「教育を受けることで、どうやって食べ物を得ればよいのか、どうやって着る物を得れば良いのか、その方法が分かるから。自分たちは確かに貧しいけれど、釣った魚をもらうことよりも、その魚の釣り方を教えてもらうことの方が大事。自分で魚を採れるようになる。」「どのタイミングで教育が大事だと感じましたか?」「ホテルでベルボーイをしていた時。そこに泊まりに来るお金持ちの外国人達が皆、ずっと本を読んでいた。ご飯を食べている時も、タクシーを待っている間も、リラックスしている時も、彼らはずーーーーっと本を読んでいた。最初は”何を読んでいるんだろう?”と不思議だった。ニカラグア人はそういうことはしない。だから、この中に何か秘密が隠されているに違いないと思って、彼らが要らないと残していった書籍を片っ端から読み漁った。そしたら、ありとあらゆることが書かれていた。大学に行かなくても、本からたくさんのことを学べると知った。」「読み書きは、いつできるようになったんですか?」「僕は軍でちょっと偉かったから、文書を読んだり書いたりしていたし、小学校でも習った。」「勉強を始めたことで、何が変わりましたか?」「今の自分にとっては、誰が大統領になろうと、大統領が何を命令しようと、知ったことではない。自分の人生とは別のこと。でも以前は違った。大統領は自分の全てだった。自分の人生とは別、という意識はなかった。今大統領に言いたいことは、もっとこの国に外国人が観光で来てくれるよう頑張ってもらいたい、ということだ。」「これからの夢は何ですか?」「ふたりの娘が大学に行って、英語ができるようになって、たくさんの人と交流して、幸せに暮らすこと。でも彼女たち、勉強にあんまり興味が無いんだよ。本も読まない。困ったものだ。まぁ、まだ子どもだからね。」彼は…現在46歳です。つまり、歴史と言ってもつい最近の話です。

本当はここまで詳しく書くつもりは無かったのですが、もっと言うと、書くこと自体少しためらったのですが、何かのご縁でこの地でお会いし、生々とその人生を涙ながらに語って下さったので、少しでも記録に残した方が良いだろうと考え、記させて頂きました。ちなみに市内ツアーに同行していたオランダ人の若者2名が彼に共感し、彼の会社のWebサイトを現在ボランティアで作成中。彼らはハイチで1ヶ月間救助活動をした後、ここに来たそうです。1ヶ月後には新サイトが公開されるとのこと。お楽しみに。尚、本ツアーは通常ツアーではなく、オランダ人2名と米国人1名に向けた特別市内+歴史体験談ツアーだったそうです。その予定の日にたまたま私が市内ツアーを申し込み、参加してみたらこの内容でした。ご本人自身、何度も涙が溢れそうになっていて、全く語り慣れてないなと思いました。今後「市内歴史ツアー」として商品化されると思います。
(最後に、太字にしてある部分。私は今、女性たちのナノカンパニー経済自立支援の仕事をしています。”やはり大事なポイントになるのはここだ。”と再確認した部分。)

Julio Tour Webサイト (2010年9月、新サイト再OPEN予定)