”開発”と呼ばれる業界に来て、jicaのプログラムに参加した分を含めると、そろそろ3年ほどになりますが、各場所では「サステナビリティ」ということが、しきりに言われています。開発国が去った後に、どれだけ開発途上国だけで継続できるか、という指標のことです。私が去った後、プログラム、無くなっちゃったら意味ないんだよ、と。
さて、PAEM。どうなったでしょう?
どうなったと思います?
驚きました。
2009年11月の私の着任時、このプロジェクトは殆どゼロ状態。バラバラに集まっていたおばちゃんたち15名ほど、という状況でした。そこからプログラム化し、様々な画策を試みて来ました。このブログでも沢山書いてきましたが、とにかく私が気をつけていたことは『やってみせる』こと。言葉でいくら言っても、机上の空論では意味がない。実際にやってみせて、こうやってやるんだよ、こうすればできるんだよ、と、担当職員に自信を持たせることも注力してきました。その結果。
2009年11月 ― ほぼスクラッチ(ゼロ)
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↓プログラム化
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2011年9月 ― 登録者300名、最初の卒業生20名 →市役所5ヵ年開発計画に組み込む
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2013年9月 ― 登録者700名、次の卒業生+40名
アクティブに動いている人最低でも250名
!!
信じられますか?
私は驚きました。かなり、驚きました。
加えて。
最初の卒業生20名がGroupo Yukariというassociationを作り、法人登記していました。個人では自分の商品を店舗に置いてもらうことが難しかったため、卒業生で組合を作ったことで、その組合で店舗と契約できるようになったのです。それを見ていた次の卒業生40名が、新たに別のassociationを作って法人登記し、続けとばかりに頑張っています。
卒業生の中には、個人店舗を持つ人も居ました。ブログで何度か紹介したセーター屋のYajairaさんは、何とこの10月に5店舗目のお店をEscazuに出します。もう、立派な女性起業家です。
プログラムは潰れずに続けてくれているだろうな、とは思っていましたが、まさかここまで拡大していたとは・・・!!!ということは、彼女達(市役所職員とシングルマザーのおばちゃん達)は、本当に私から様々なことを学習して吸収していた、ということになります。
彼女たちの能力は青天井。しっかり信じて「あなたたちにできる」とエンパワーし続ければ、こんなにも大きくなっていくものなのか。『人は育てるもの。』教育者としての自分の側面を、フツフツと再確認することになりました。
とても誇りにも思いました。
ありがとう。私が産み落としたプログラムを大事に育ててくれて。感謝です。うれしい。
がんばってるね。すごいね。
私自身は、正直、開発という視点では一切見ていませんでした。小さな会社を10年以上経営してきた人間として、この市役所女性課の職員として働くにあたり、女性課の1プログラムを生み、育てた。それだけのことです。スタッフのモチベーションをコントロールするのは、リーダーの役割でしょう。正直、2009年11月当初、私という人間が外から突然送り込まれ、現場の人たちは面白くないといった感情も存在していました。ブログでも書いてきたように、それもしっかり把握していました。その上で、このスタッフを、このプログラムを、どう育てていくか。どこから実績を作って切り崩していくか。ただただ、目の前に居るスタッフで組織をまともに経営しようとしていた、という感覚だったんですけどね。。
9月18日。市役所には、お昼を一緒に食べようね、と連絡をしていたのだけれど、行ってみたら午後からイベントが準備されていました。100名以上の女性たちが集まってくれました。ありがとう。
改めて、私もがんばろう、って思いました。