2011年6月27日月曜日

a las 4 定時4時の世界

前回「Madre Soltera シングルマザー国家?」の続き。

国連の人間開発報告書における女性のエンパワー指数2009は、コスタリカは世界で27位、日本は57位。こと“女性の経済自立支援”の領域に関しては、日本より遥かに進んでいると感じています。どうやら私は、基本的に古風な考え方をしているようだと、気付かされました。同僚や友達から「あんたの考え方は2時代ぐらい前の話。今は21世紀よ!目を覚ましなさい!!」と、良く言われます。

コスタリカでは”女性の社会進出”と敢えて言う必要もない程、女性と男性が普通に一緒に働いています。その第一の理由は、女性も働かないとやっていけない(ほど貧しい)、という現実があるからなのですが、私の目から見れば、それはとても自然な姿のようにも見えます。“世の中、男性と女性は半数ずつ。だから、仕事の現場でも半数ずつ存在している。それだけのこと。” この国においてこのことは、大変に単純で、明快です。それに働く女性達がとても可愛く元気です。さすがラテンの国。


さて、そんな彼女たちと日ごろ仕事で接していて、彼女たちから良く言われることがあります。

私は日本人で30代後半。子どもも居なければ、結婚もしていません。「なんで、子どもも持たずに、こんなところで仕事をしているんだ?」と言われる覚悟は、ある程度していたのですが・・・、彼女たちから見ると私は”全くもって計画的ではない人生。”ということになってしまうようです。
日常の会話の中で「子どもは欲しくないの?」と聞かれる機会があります。そこまで深く考えずに、「いずれはね、」なんて答えた日には、もう大変。「だったら、父親はいいから、とにかく先に子どもを生みなさい。」と言われます。結婚(というより、旦那)より子どもが先だ、と言われます。私自身は、子どもは欲しいと思っていても、先に子どもだけが欲しいという考え方は持ち合わせていないため、この”計画的でない”私に対して、”早くしないと産めなくなるから、誰でも良いから、調達して来なさい。”と、大変に具体的なアドバイスをして下さいます。ものすごいリアリティーを持って。。

このような時、どちらが良いとか悪いとか、そのような考え方は非常にナンセンスだと私は思いますが、”どうやら私は古い考え方をしていたのかもしれない。。”と気付く瞬間ではあります。日本で当たり前だと思っていたことは、世界で当たり前ではない。そう、気付かされる瞬間です。


その一方で、そんな私が”素敵だなぁ”と感じるご家族と出会ったのも、ここコスタリカでした。本ブログに何度も登場しているBanca Mujer 女性銀行の、現場責任者のご家族。ここは、私が”素敵だな”と感じるご家族の1つです。もしかしたら、コスタリカでは珍しいケースかもしれませんが、大学時代19歳の時に出会った方と結婚し、小学生の2人の子どもがいて、今もずっと一緒に暮らしています。38歳の彼女は「人生の半分以上を彼と一緒に居るのよ。」と教えてくれました。一方で、彼女は仕事もバリバリ、何せ一銀のトップです。日本でなら、もしかしたら”仕事と家庭の両立!”なんてタイトルで紹介されているのではないかと思うほど、がっつり仕事をしつつも、子どもも2人、しっかりとした家庭もある方。もちろん、その実現のためには、不断の努力で築いて来られた家族間の信頼関係があるからこそ、とは思うのですが、その秘密の1つは「定時4時の社会」ではないか?と私は考えています。

この国の定時は4時。市役所・銀行を初め、本当に4時に仕事が終わって、全員がさっさと帰ります。残業なんて、相当なことが無い限りしません。社会全体が4時に終了。これは日本人の私の目から見ると、すごい世界です。最初の頃は「え?もう4時?いや、仕事は今からでしょ。。」とか、「よくそれで社会が回るな・・・。(汗」と思っていましたが、全員で足並みそろえて4時におうちに帰る社会には、一銀行のトップであっても、家に帰って一緒にご飯を作って一緒に食べることもできる、そういう世界が広がっているように思います。そして夜9時には町中が寝静まる。なんて健全な国なのでしょう。。嘘のようですが、本当の話です。私はこの点については、とても良いことと感じています。正直、4時定時の世界は、かなり羨ましく感じています。(私にとっては4時に仕事が終わってくれると、ものすごく身体が楽で、非常に助かります。)


家族の在り方は千差万別。一概に、どの形が良い、とは言えません。それでも、男性も女性も共にしっかり働くことができ、希望すれば子どもも持てて、安心してしっかり育てられる家庭を持てる社会は、1つの理想の形ではないか、と感じます。

日本とは異なる環境(シングルマザーだらけ、女性の大統領、定時4時・・・)に身を置くことで、別の角度からの刺激を受け、自分にとっての”当たり前”は「全然そうではない。」と気付くことができます。どれが良いとか悪いという話ではなく、結局は、「自分にとってはどうか?」を考える、きっかけをもらっているのだと思います。様々な考え方に触れることで、色々な角度からモノが見れる人になれたら、と思います。